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菩提樹の風/癒しと覚醒の瞑想/TOP

 瞑 想  何もしないことで現れてくる真実


 瞑想とは何か

○○瞑想法と呼ばれているものは、たくさんあります。
瞑想をやってみたいけれども、どの瞑想法がいいのか迷うという声をよく聞きます。
私はTM瞑想とフルフィルメント瞑想しか知りませんが、何が瞑想なのかはよく知っています。
簡単に言うと何もしないことが瞑想です。いかに何もしないかが瞑想なのです。
簡単すぎるでしょうか?でもこれはなかなか難しいことです。

数ある瞑想法もいいものがたくさんあると思いますが、
個人的エゴが何もしないことに耐えきれず、何かをしてしまった場合、
瞑想は方向性を失ってしまいます。
私はこのことを嫌というほど味わってきました・・・。

社会では働かなければなりませんし、目的を持って何かをするということが推奨されています。
私たちにはその観念しかありません。
それに瞑想も当てはめてしまいます。
どうしても何かしなければならないと、目的を持って瞑想しなければと思ってしまいます。
その努力や期待の結果、つまり瞑想の結果が欲しいのです。

瞑想を教える立場であっても、
瞑想をするとこんないいことがありますと言いたくなります。
あるいは瞑想中にこうしなさいと言いたくなります。
(それの良し悪しは別として)

何もしない瞑想をしていくと、瞑想の結果というものにとらわれなくなってきます。
瞑想をすればいいことばかり起こるようになるわけではないのです。
どんなことが起ころうとも、それさえも受け入れることが自然になってきます。
これは観念や信念ではなく、瞑想による直接的な理解です。

もし、瞑想の結果というものにとらわれているなら、
それに個人的エゴは満足かもしれませんが、いつもまでも世界の現象というレベルにしがみついたままです。
しがみつくということは努力であり、いつまでもリラックスできません。
もちろん瞑想のレベルとしてそういうこともありますが、いつまでもそこにいる必要はないのです。
何もしないことが完全なリラックスです。そこに戻ります。

いままでの習慣があるので、そう簡単ではないかもしれません。
それでもいいのです。瞑想では何もしないというところからブレないというエッセンスが必要なだけです。
このエッセンスでさえ、最後には必要なくなります。

何かをしている限り、私たちは宝物の周りをウロウロしているようです。
その宝物はあなたのものであり、どうやって手に入れようか考える必要もなく、
ましてや盗難防止装置もついていません。

今までの習慣にこだわってる限り、瞑想を理解することは難しいかもしれませんが、
真実は何もしていないということが救いになります。
そのことを知るのが瞑想です。その他は個人的エゴの迷走です。


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